着物コラージュアーティストnaomariaが、どんな思考で制作をしているのかが垣間見られるこれまでの生き方や思考をご紹介。こちらはその第3弾!
自然の流れで「花」から「着物」へと変化
2007年12月にオンラインショップでプリザーブドフラワーの販売を開始。
黒やディープカラーがメインの個性的なアレンジばかりだった。
イメージで言うとアナスイ。使うモチーフはバタフライが圧倒的に多かった。
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当時流行っていたデコパッチを取り入れ、器を装飾することもした。
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日本人はこういった個性的な色合いよりも、きれいな濁りのない明るい色合いが好き。
苦戦した。
プリザーブドフラワーは当時大人気。
すでに教室を開催していた私は、差別化を図るため個性を追求していた。
そしてその成果を個展で披露した。
初個展で進退の賭に出た
実は初めての個展で結果が得られなければ、完全に足を洗って就職する覚悟だった。
教室を主宰していたけれど、それが一番にやりたいことではないとなんとなく気づいていた。
もちろん毎月来てくれる生徒さんには感謝しかないし、実際楽しかった。
でも心のどこかが「何かが違う」と叫んでいる。
違和感しかなかったんだよね。
だから勝負に出た。
勝負するからこそ自分の世界観一択で挑んだ。
すると想像以上に盛況だった。
そしてやめることなく今に続いている。
でも、探究心は止むことはない。
むしろ加速している。
あるとき、収集していたちりめんをアレンジに加えることを思いつく。
実際にアレンジしてみる。そして、さらに探求した。
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すると、ちりめんから着物生地へと変わり、花が消えた。
着物生地へと移り変わった背景に、着物リサイクルショップで見かけたレトロな着物生地に一目惚れし、一瞬で着物生地を使うことを決めたことがある。
きっかけは単純だった。
▶ 『着物コラージュアーティストnaomariaの着物との出会いと想い』
プリザーブドフラワーは扱い方によって数年で駄目になることもある。
加えて高い、ということもネックだった。こうして自然と花は消えた。
初めてプロからダメ出しを受けた
2014年10月。
初めてギャラリーで個展を開催した。
このとき、展示した作品を眺めてはモヤモヤしていた。
何かが違う。
私が表現したいのはコレじゃない。
だからといって何をどうしたら良いのか分らなかった。
このとき新聞社の取材を受け掲載された朝刊を眺めていた。
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同じ朝刊に掲載されていた細密画家のインド人。インド人て、と一瞬たじろいた。
ただ、それ以上に彼の作品に目が釘付けとなり観に行くことにした。
彼はアーティストであると同時にプロデューサーでもあった。
実際に私の作品を見ていただき助言を求めた。
言葉を選びつつも「売れる作品じゃない」という評価が下った。
分かっていた結果だったけど、やっぱりショックだった。
翌年の3、4月にグループ展を開催するという。そこに参加しないか?と声がかかった。
2つ返事でYES。
ただ参加条件として、事前の作品チェックで合格すること。
この時はクリアするための方法もアイデアも技量も何もなかったのだけれど、「なんとかなる」精神で挑んだ。
こうしてグループ展にまで”売れる”作品を創り上げる目標が定まった。
とは言ってもすぐにアイデアが湧くわけでもなく、年が変わるまで何も出来ずにいた。
やっと見つけた自分のアートスタイル
年末年始ゆっくり過ごし、そろそろ向き合わないと間に合わない時期に迫ったとき、ふと湧いたアイデア。
2013年に生み出していた新しい手法。
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それをもっと深めて作品にすることを思いついた。
すると一気にデザインアイデアが湧き、あっという間に6点完成した。
やっと見つけた。
自分だけのアートスタイルを。
この喜びは果てしなく大きかった。
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全作品を持って車で一時間。
ドキドキしながらチェックを迎える。
一発OK!
これで晴れて着物コラージュアートがデビューとなった。
このとき3点売れた。
やっと自分の納得のいく作品が作れた喜びと実際購入して頂けた喜びとが重なり、ここから本格的に誰もが見ても美しく”売れる”アート作品を作る、という意識が生まれ、私を突き動かし続けることとなる。
ま、これがのちに自分を苦しめることになるんだけどね。。
▶ 『着物コラージュアート』
退路を断つ
2015年のグループ展が無事に終わるも、依然としてプリザーブドフラワー講師を続けていた。
でも頭の中は着物コラージュアートのことばかり。
この状態がもっと進むと生徒さんたちに迷惑をかけることとなる。
引き際を考え始めていた。
2016年5月に東京のギャラリーで個展が決まったことを機に気持ちが固まった。
2015年末で教室閉講。
2016年、教室もなくなり、この道しかない状態に。
その時出来る力を振り絞り初個展当日を東京で迎えた。
気づきの多かった着物コラージュアート初個展
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会期中からモヤモヤが止まらない。
全力尽くしたのに、実際に会場に立つと納得がいかなかった。
来場者にも耳を塞ぎたくなるようなことをたくさん言われた。
分かっていることなので余計に辛かった。
自己満足でしか作品を作ってきたことがないので、”美しく見える作品”というものを良く分っていなかった。
しかも、まだ幼さを醸し出す作品たちにとって似つかわしくない場所だった気がする。
背伸びして銀座を歩いているようなもん。
そのギャップが来場者には違和感しかなかったのだと思う。
そもそもだけど、
”美しい”ってなに?
そんなの人それぞれ違うんだけど、見ていて”心地よいか”どうか。
ただそれだけなんだよね。
そんな簡単なことにも気づいていない当時は、とにかく大いに悩む理由にもなったし、苦しむ原因でもあったんだよね。
視野も思考も狭かったなぁ、当時は。
美しくないものは許せない
そんな私がまだそこに到達できていない悔しさは、打ちのめされるほど強い衝撃だったし、大きな壁だった。
もちろん自信なんて持ちようにも持てないほど経験が圧倒的に少なかった。
自信を付けるため、展示する場所にこだわった。
それまでカフェギャラリーで展示していたけど、そういった場所では展示しないと決めた。
それなりに価格のする作品なので、ちゃんと「アートを楽しむ」という目的で足を運べる場所に限定した。
ここから本格的に実績作りが始まる。怒濤の日々の幕開け。
▶ 『バイオグラフィー』
順調にこなしているように感じられたけれど、それも錯覚。
後半には陰りが見え始めていた。
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▶ 『唯一無二のアートスタイルを生み出したnaomariaってどんな人?①』
▶ 『唯一無二のアートスタイルを生み出したnaomariaってどんな人?②』
▶ 『唯一無二のアートスタイルを生み出したnaomariaってどんな人?③』
▶ 『唯一無二のアートスタイルを生み出したnaomariaってどんな人?④』