自分の気持ちや望んでいることがよくわからない。
そんなことをよく聞きます。
わからない
は、自分が今いる場をかすませ、いろんな事象を見る目・考える力を奪い去ります。
だからこそ為す術もなく人に頼ることしかしなくなり、他人に答えを出してもらわないと前に進めなくなってしまう。
自分のことが解らない
となると途端に自分に自信がなくなる。
他人への依存が強かった自己否定の塊な私が、そこから脱却し「自分で考え、自分で答えを出す」ことができるようになった流れをお伝えします。
自己否定は心を破壊する
以前の私はとにかく人からダメ出しばかりを喰らう人間でした。
今思えば理不尽なダメ出しだったけど、自分に自信がないからそのまま素直に受け入れてしまい深く傷ついた。
そんなんだから自分は何をやってもだめ、と自分を責め立てるばかりでさらに自信を喪失する。
自分がどんどん見えなくなり、さらに何をどうしたいのか自分ではさっぱりわからなくなった。
その結果、悩みが尽きず、いろんなジャンルの人たちに相談をしまくっていました。
いろいろな人の話は聞くけれど、何をどうしたら良いのか具体的なアドバイスはないのでまた悩む。
自分を見失っているので、簡単なアドバイスではもう判断がつかないほど心が崩壊していた。
そうなるとさらに自分の足では歩くことが難しくなり、他人に決断を求めたり、何かしてくれないか、と期待ばかりしてしまう。
そして、相談しても(潜在的に)自分の中で答えは出ているのか、素直に聞くことができず、結局自分の思う通りに動いてしまうことも多かった。
自分の思うとおりに動くなら最初から意見を求めるのは違うんじゃないか、とあるとき思った。
それなら自分の思うように動いてみる。
そこで失敗したとしても「学ぶ」ことはできる。
100%他人の言うとおりに生きていたいならそうすればいい。
そうでないなら、意見は聞いたとしてもそれを自分なりに考え答えを出して歩き出す。
転んだらまた立ち上がり考えてみる。
その繰り返し。
でも悩んでいる人にそれを伝えても不安が増すだけだよね。
これも経験しているからよく解る。
だったらどうしたら良いのか?
記憶に残るものは大事なファクター
何年経っても記憶に残るような刺激や衝撃は、何かしら自分にとって必要なファクター。
それらが特別深い意味合いを成しているかそうでないかは別として、ほんの少しでも意味があるから、自分の脳やハートの中に残り続ける。
いつまでも内在する刺激や衝撃にじっくり目を向ける。
するとじわりじわりと感情が浮かびあがってくる。
顕在的なものもあれば、潜在的なものもある。
割合的には潜在意識が多かったりする。
そこに気づくから「自分の本心を知れる」となる。
自分の本心は制御不能なときに現れる
これまで見たことがないものや知らないことに出くわしたときや、問題が起きたとき。
そんな時は心の準備ができていないので、瞬間的に感情が動きます。
思考よりもはるか先に。
どんな感情が湧いてきたのか?
これをきちんと逃さずキャッチできるかどうか。
これはもう日々訓練するしかない。
習慣となれば、怒っているときですら俯瞰で自分を見られるようになる。
「私は今なんでこんなに怒っているんだろう?あ、○○だからだ!」
なんて自己分析が行えちゃう。
嘘のようだけどホントのお話。
怒りながら笑う竹中直人さんみたいな感じ(いや、、、なんかちょっと違う 笑)
自分のこととなると途端に主観的になってしまう。当然のお話。
慣れないうちはなかなか自分の本心を知るところにまで到達できないかも知れないけれど、やっていく内にコツを掴めるようになる。
自分の本心を知る方法
自分の本心を知るには一つポイントがあって、冷静に判断し相手を尊重することができる信用のおける人が傍にいることが望ましい。
その人の声を参考に答え合わせしていくと、本心を知れるまでのスピードアップが図れます。
他人の意見に左右されやすい方はこの方法は不向きですが。。
本心を知るための順番は↓
② 返答がなければ質問内容を変えながら問いかけ続ける
③ 答えの輪郭が見えてきたら少しずつ核心に迫るような質問に切り替えていく
④ 腑に落ちる答えにたどり着いたら、素直に受け入れる
⑤ 過去の経験を思い出し答え合わせをする → 確信へと変わる
⑥ 次に同様の場面に出くわしても「本心」を理解しているので戸惑いが減る・覚悟が強まる
⑦ 何度も経験していくと、顕在化した本心として自分の中で育っていく
この①~⑤の間に、信用できる人に相談しアドバイスを求めることで、より客観的な判断ができる。
本心を知る方法 ~naomariaの場合(一例)~
ある一つの本心を知った時の流れを、分かりやすくご紹介します。
湧いてきた感情は↓
「それほど上手だと思わない絵を描く人が売れていたりチヤホヤされているのを見て腹が立つ」
(シーン)
突然目に飛び込んできた作品に対し抱いた感情。
意図して見たものではないので突発的な出来事。
もちろん受け入れる心の準備は全くない。
上手ではない絵には魅力を感じないから
美しくないものは許せないから
見ていて心地よくないから
見ていて心地よいもの、均整が取れているもの、パーフェクトさを感じるもの
美しい作品でないと受け入れてもらえないと思うから
芸大も美大も出ていないし、実績もないから自信がない
見た目がパーフェクトだったら受け入れてもらえると思うから
金銭的に厳しいし、実践しながら学んでいきたい
とにかく作り続ける
名のある場所で個展を開催する(これは後に疑問符が付くことに)
⑤-1 過去に芸大・美大を出た人たちに「そんなことも知らないの?」「普通はこうするんだよ」「自分の作る作品のカテゴリーも知らないの?」など馬鹿にされ続けた。しまいには「全くの畑違いに突然飛び込んできてさ…」とも。
初個展の来場者には「もっといろんな作品を観て勉強したほうがいいよ」「何も伝わってこない」と、否定ばかりだったので、誰にも文句を言われないクオリティを生み出すことに必死だったことに気付いた。
こんな絵が?と思う絵が売れているのを見て腹が立っていたのは、単なる「上手じゃないのに!」という思いからではなく、自信がないことに蓋を隠すためのカモフラージュな感情だったんですよね。
ま、自分がそうなりたいことを実現している人たちへの嫉妬や焦りもあったけど、それはどちらかというとまだ小さな要因でした。
気づいたときはショックだったけど、ものすごく腑に落ちてすっきりしたことを覚えています。
自分のことを、単なる嫌な奴だとも思ってましたからね(笑)
コンプレックスの塊がひねくれた感情を生み出していたのかもしれませんね。
そんな自分を知れば、突然湧き出る感情に左右されなくなる。
「あ、また嫉妬か」
「あれ?もしかして私も絵が描きたいと思ってる?」
「今の自分の伝え方はどうだろう?」
と、思考が働くことが増えてきます。
感情に押し流されるだけじゃなくなるんです。
こうなるまで数年を要したけれど、これからの人生のほうが長いわけだからなんてことない。
気づけてラッキー!なんです。
もちろん気づけるように努力したのは自分。
だからそこでもう自分をほめちぎってもいいし、自信を持っていいわけです。
自分のことを知るのが一番難しいとも言われています。
でも一番よく理解してくれるのは他でもない自分です。
難しいけど、自分のことを一番愛し大切にできる自分自身を輝かせるために、自分のことをよく知る努力は必要です。
これは作品作りのためだけではなく、生きるために。
俯瞰して自分を見られるようになると、悩むことは少し減ります。
完全にはなくなりません。
でも、悩む時間や頻度が減るだけで、その時間を楽しいことに費やすことができるようになります。
そうなればより楽しい人生を送ることができると思いませんか?
百聞は一見にしかず
まずは挑戦してみて下さい。