アートから受けた衝撃はのちの人生に影響する

約四半世紀以上前。

当時お付き合いしていた彼が一眼レフを持っていた。

一緒にブラジルを旅した時、彼が撮影した美しい写真に一瞬で心を奪われ、帰国後すぐに一眼レフカメラを購入した。

EOS KISS銀塩初代。

ここからカメラにのめり込むようになり、以来ずっとレフを所有している。

今ではミラーレスでも優秀なモノが多く、現在使用しているのはSonyのα7Ⅱ。

ミラーレスなのにフルサイズ。旅先ではもちろん、作品の多くはこのカメラで撮影している。

 

最初の大衝撃は蜷川実花さん

カメラに夢中になっていた20代。
少しでも上達したいと本屋へ行き、参考になりそうなノウハウ本を探していた。

ふと目に留まった写真集。
蜷川実花さんのあの強烈な色彩を放つ写真集だった。

稲妻に打たれたような強い衝撃が私の中に走る。

手にし見てみると、どれもこれも鮮やか。そして美しい。

写真ってこんなに自由で良いんだ!

目が覚めた瞬間だった。

彼女の写真は全てにおいて斬新で刺激的。

「こんなのは写真じゃない」と彼女自身相当叩かれたそうなんだけど、一切めげずに活動を続け、今や活躍は周知の通り。

やはり他人に何を言われても自分の信念を持って継続するって大事よね。

ここから「色」に芽生え始め、後に作品を作るときに影響を間違いなく及ぼしている。

2022年4月 有形文化財での展示

 

色を求め続ける日々

衝撃を与えてくれた蜷川実花さんはもちろんのこと、色彩の魔術師シャガールや草間彌生さん、マティス、ミロ、ジミー大西、木梨憲武、ビートたけし等の展示へこれまで足を運んできた。

地元では開催されないものもあるし、観たい!と思ったタイミングで行きたいので東京日帰りは良くある話。

 

私は、定期的に色の洪水に溺れに行く

とても快感でたまらない。

 

色の洪水に溺れるとは?

蜷川実花さんの展示へ行ったときのレポがあったので、簡単にまとめたものをシェアしますね。

 

色の洪水に溺れに行く 蜷川実花~虚構と現実の間に~

2021年9月のこと。

上京するタイミングで開催していた蜷川実花さんの『虚構と現実の間に』を観に行った。

こちらの企画展は2度目。

地元地域で開催されていたのを観に行ったのが2018年なので3年が経っている。

年号を見てもらえれば気づくと思うが、この3年の間に世界の動きが止まってしまった。

 

美術館は休館に追い込まれ、アートを楽しむことが出来なくなっていた。
観る側はもちろん、作り手側の価値観も大きく変えたこの時期。

3年の時を経た同タイトルの企画展。
驚くほど進化を遂げていて、同じ企画展だとは感じられないほどフレッシュなエネルギーが溢れていた。

 

蜷川実花さんと言えば「極彩色」。

彼女の色世界は他にはない世界で、唯一無二のオリジナリティに溢れている。

彼女のユニークな色彩感覚はキルト作家であるお母様の影響が強いのだそう。

私がカメラを始めたばかりのこと。

本屋で彼女の写真集を見て言葉を失った。

写真ってこんなに自由で良いんだ!」って。

このときの雷に打たれたような強い衝撃に、私も「色」に目覚め始める。

ただこの色に関する本領発揮はそれから約15年の時を経て、前職プリザーブドフラワー講師の時にようやく訪れる。

本ではなくこうして大きな作品を通して彼女の色世界に身を投じると、色ならではの効果だけではない不思議なパワーを感じる事ができる。

上から下から。。360度彼女の色が全身に襲いかかってくる。

瞬時に細胞の隅々にまで浸透していき、この色世界じゃないと生きて行かれないと思ってしまうほど虜になる。

中毒性があるから何度でもこの色に触れたくなるし感じたくなる。

一度ハマったら抜けられない底なし沼のよう。

なのに、ビビッドがもたらす明るさや元気、強さ、そんなものはごく僅かで、彼女から放出されたエネルギーが止めどなく溢れ続けている。

とにかく心地よいし、まぶしすぎるほど美しい。

このエネルギーというものは、彼女の色世界から放出されるものであり、色があるからこそ増幅しているところもある。

人は想像を絶するものを見たとき、人は言葉を失うのはもちろんのこと、動きすらなくなりフリーズのままとなる。

そこに在る目に見えないものをひたすら「感じる」ことに専念する。

細胞の一つ一つに行き届く生命力。それをただ感じ続けるだけ。

 

私はそれを色でおこなう。

色を通して「感じ」「生きている」ことを実感する

だから定期的に色に溺れに行かなければ、生命力を保てないのだと思う。

 

これは蜷川実花さんだけではなく、さまざまなアーティストさんの作品も同じです。

 

細密画に心奪われたのはもう少し昔

ボストンに留学していたとき、ニューハンプシャーまでドライブ旅行したことがある。

そのとき入った町の小さなミュージアムで開催されていた企画展がエッシャーだった。

なぜこんなにもワクワクするのか?を詮索していた。

 

その後、レンブラントの銅版画にも心奪われ、自分は「こういうテイストが好きなんだ」と気づいた。

銅版画って線描画&モノクロ。漫画みたい。

 

小学生の時、漫画をよく描いていた。

いとこたちも漫画が好きで、描き方を教えてもらってた。

この頃すでにGペンやセル画に手を出していたし、同人誌のことも認知していた。

 

細密画が好きなのは何が理由かよく解らないけれど、繊細な作りや構造に心惹かれるみたい。

自分が作る作品もそうだしね。

 

ただ衝撃とまでは行かない。

自分に気づきをもたらすくらいの「刺激」って感じ。

 

のちに銅版画習ったときに描いたのがドラゴンボールのシェンロン。

今は銅版画ではなく、ペンで描く細密画にチャレンジしている。

 

 

コラージュの原点は?

蜷川実花さんからは「色」を。
エッシャーからは「細密」を。

 

ではコラージュはどこからやってきたのだろうか?
どんな影響を受けていたのだろうか?

 

実はこれに関する記憶は全くない。

 

ただ生きてきた中で漠然と「小さな集まりが好き」と知っただけ。

今あるものの寄せ集めで創り上げる新たな世界が妙に魂をくすぐる。

それを無意識に感じており、無意識にやり始めた。

 

思い返せば共通するところはいくつかあって、「冷蔵庫の中にあるもので食事を作る」はそのうちの一つ。

活動開始は本当にお金がなくて、あるものを工夫して作品を作るしかなかった。これは今も同じスタンス。

制限の中にある無限の可能性を見出す

ここに異常な快感を覚える。

・小さな集まりが好き
・制限の中から無限の可能性を見つけ出すのが好き

ただそれだけでコラージュを選択したのだと思う。

 

まとめ

いつまでも記憶に残るような衝撃は、創作活動に限らず人生にも何かしらの影響を及ぼしていると思う。

受けた衝撃から自分の本心を知れたり、眠っていた才能や願望が開花したり。

本来の自分を知る上でとても役に立つのがアート。

 

アートは作者が自分の思うように創り上げる作品なので、観ただけでは理解できないことが多い。

理解できないからこそ「感じる」ことが多くを占め、そこから思考を深めていく。

どう作られたのか?どういう狙いがあったのか?

ではなく

自分はどう感じるのか?どう思うのか?

に着目していくと、今後何かを決定するときに大いに役に立つ。

 

私は単純に「色が好き」「細密が好き」で終わらせず、「なぜ好きなのか?」を追求しつづけてきた。

その結果自分の本心というものを随分と知れるようになった。

 

アートを通じて本当の自分を知る

 

アートから受けた衝撃はその学びに気づかせてくれた。

これは何よりの収穫です。